2009年 11月 02日
雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ |
峠の坂道にも負けず。
AM3:30
24 . October . 2009
my home...
I woke and, sent a mail.
「今どちら?」
午前2時台に私の家に寄る予定であったMamukun氏の返事は、「富士川橋を渡ったところですねん」という一言であったので、一先ずは安心する。
1時間以上の遅延を以て懸念されるものは、果たして目的の列車通過までに、目的地に到達できるかということ。
天気予報は曇時々晴にて、比較的良好だと思った。
M氏が自宅前まで来た。
準備はほぼ済んでいる。
水を一杯とバナナを1本食べる。
然る後、雲の巣だらけの自転車置き場から自分のクロスバイクを引っ張り出し、M氏の自転車の近くに置いた。
家の鍵も閉めた。
さっきまで起きていた親も、「行ってらっしゃい」の一言と共に寝室に戻った。
もちろん姉も寝ている。
前夜にmp3プレーヤーへぶち込んだ、マキシ1のサントラを聴きながら、我が町を後にする。
午前4時、快調だった。
マキシのサントラは、未明の疾走感を高揚させた。
夜の道を走った。
夜の由比と興津の間は、灯りがなかった。
自転車のライトは最早無意味で、よく持ち歩くLEDライトを補助光にした。
それでもまだ道は暗かった。というよりも、黒かった。
夜の町を奔った。
清水市内に来て、道に迷った。
迷いつつも西へ西へと移動していた。
裏路地、モデル居住地、いろいろと走ったが、漸く小糸製作所が見え、吉川の踏切付近まで来た。
なんとか国道1号に出たが、そろそろ出社するリーマンとか、見え始めた。
よく見れば、空は青味を増していて、気づけば6時前。
6時頃になんとか静岡駅前に到着した。休憩とする。
M氏はタッパーを取り出し、自作の焼うどんを食べ始めた。
私は後から自転車で追いかけるという後輩と、連絡を取っていた。
安倍川を過ぎ、丸子の方に行く。
宇津ノ谷峠に向かって、ジワジワと上り勾配になってきた。
トンネル内は喧しかった。
若干急ぎ気味で、そこを抜けた。
存外に短い隧道だった。
そして、一気に下り坂になった。 軽く50km/hは超える。
藤枝市、旧岡部町に入った。
親が岡部に勤めていたことがあったから、ちょっとだけ記憶にある道、ちょっとだけ懐かしく感じる町。
旧岡部町役場が、藤枝市役所に変わっているのを見て、やっぱり合併したんだなっていうことを再確認した。
この後。
藤枝市役所前を通った。
島田市に入った。
島田駅の少し北を通った。
気がついたら、前方に大井川の橋が見えた。
まっしぐらだった。
他には何も視界に入って来ない。 ただ、橋の入り口を目指して、そこまでの上り坂を一気に駆け上がった。
橋を半分まで過ぎると、金谷の町が見えてきた。
心の中で歓喜を上げた。
「金谷だ!!」
「金谷…!! 金谷の町だ…」
「そうだ、あれが遂に我々が待ちに望んだ金谷のまちだ。私は諸君らを約束通り連れて帰って来たぞ。あの懐かしの撮影へ。あの懐かしの撮影地へ。」
(元ネタ:HELLSING5巻より)
…と、C.Tが心の中で呟いたとか呟いてなかったとか。
こっから目的地はもう目と鼻の先。
とりあえず、新金谷駅に立ち寄って小休憩。
証拠写真として1枚
この後、後から来ていた後輩とも合流。
こっからちょっと移動して、予てからの目的地であった撮影地に到着。
時刻は8時になった頃で、自宅を出てから実に4時間経っていた。
こことは別の近くの撮影地に電車で来ていたLimited氏とメールで連絡したり、側を通る大鉄を撮ったりしながら時間潰し。
EL牽引でSL急行の回送が通過
後に定時で出発
発車時に汽笛を鳴らしてくれるので分かり易く、警報器の無い踏切だったので助かりました。
雨もぱらつき始め、定時から何分も遅れたころにやっと本番。
キハ85団臨。傾いた。
雨も降ってきていたので、その場を撤収。
L氏と連絡して大鉄のSLでも撮るかということに。
鉄橋の辺り
SLをやってから、あとは引き返すのみ。
新金谷に一旦寄り、そこでL氏と別れて自転車組3人はまた長距離を漕ぎ始める。
行きは別格追い風が吹いていたわけでもないのに、帰りは向かい風が酷い。
結局、この向かい風には自宅に着くまで悩まされた。
藤枝市役所付近で休憩を入れ、今度は岡部方面ではなく、焼津方面へ行く。
ルートを提案したM氏が通ろうとしていた日本坂トンネルは、車通りの多さから断念。
あれだけ日本坂トンネルは危険だって言ったじゃないですか(-ω-
他ルートを考えると、北へ上って、また宇津ノ谷峠を越えるか、南側の大崩海岸を通るか…。
体力も限界、時間も余り掛けられない、やはり考えられる最も現実的なルートは、大崩ルート…。
そんな事を考えているうちに甲種輸送が来る時間。一先ずはそれを撮影。
ここに来て串パン
満身創痍、基本的なことができなくなってきている。
甲種輸送の撮影後、大崩海岸へと行く。
南に少し行き、交差点を東に曲ったとたん、坂道が襲ってきた。
向かい風が吹いているというのに、その上坂道がキツイ。
トンネルに入ると、とうとうまともに向い風が当たってきた。
自重の軽い私のクロスバイクはまだ進めるが、後ろで頑張っているM氏と後輩とに広い差がついてしまった。
少し止まって待ってみたり、ちょっと勢い付けて坂道乗り切ったり、見通し不良の急カーブを徐行してみたりで、やっと用宗が見えてきた。
静岡市に入ると、坂道をひたすら下った。
風が気持ち良かった。
用宗に来て、再びL氏と合流。
撮影場所を決めて、団臨の折り返しを撮影する。
ピン甘だよ…orz
雨は降り続けている。
正直、もう撮影に集中することができなかった。
アンダーな気分でした
さらば団臨。
L氏と別れた。
再び自転車3人組が集まる。
――ここからが地獄だった。
安倍川駅前、安倍川を越え静岡駅前、東静岡駅前、長沼、草薙駅付近、小糸製作所付近の新幹線との交差、Y字の交差点、清水駅前、清水郵便局前、東海道線の上を越えて清見寺前。
興津駅前で休憩。
安倍川手前で後輩と別れ、M氏と2人でずっと走ったが、これまでずっと前方からの強風と大雨だった。
雨対策の装備はない。すべて気象庁が悪い。畜生。
興津駅前で休憩を入れたが、正直一度止まると、もう二度と動き出せない気がした。
ベンチに座りながら親に連絡を入れた。
私の体力は最早限界。 気分的には既に機能停止の臨界点にまで達しそうだった。
M氏の方は、どうやら「覚醒」したように我武者羅に自転車を漕いでいた。
興津駅を出発して、また難所にブチ当たった。
正直、回避したいがそんなルートは存在しない。
行きの自転で真っ暗で静かだった由比-興津間は、強風、大雨、対向車のヘッドライトが逆光でまったく道が把握できない、これまでにない最悪な状況。
立ち止まってLEDライトを用意しようとしたら、後ろから来たM氏と衝突した。
兎に角、前が見えない。
LEDライトは取り出したものの、何の役にも立たなかった。
本当に畜生だった。
道路が認識できるレベルが100だとすれば、1かその程度上がったかもしれないが、結局その程度だった。
だから、前が見えなかった。
由比から先は慣れた道で、もう私も我武者羅に走ってた。 二人とも狂ってた。
由比の交番、由比駅前、博物館前、旧東海道から逸れて、蒲原駅前、蒲原西IC前、イオンタウン前、新蒲原駅前、富士見橋下、軽金踏切。
そして、やっと、地元に着いた。
少し腹が冷えて痛い感じがした。
だから私は、あの時M氏にあの質問をした。
幸い、2人とも風邪をひかなかったらしい。
こんな事をしたのだから、悪運とでも云おうか。
帰宅出来て良かった。
というより、強風と大雨がなければこんなに苦労しなかったし、辛い目にも遭わなかったはずなのだが・・・
('A`)
AM3:30
24 . October . 2009
my home...
I woke and, sent a mail.
「今どちら?」
午前2時台に私の家に寄る予定であったMamukun氏の返事は、「富士川橋を渡ったところですねん」という一言であったので、一先ずは安心する。
1時間以上の遅延を以て懸念されるものは、果たして目的の列車通過までに、目的地に到達できるかということ。
天気予報は曇時々晴にて、比較的良好だと思った。
M氏が自宅前まで来た。
準備はほぼ済んでいる。
水を一杯とバナナを1本食べる。
然る後、雲の巣だらけの自転車置き場から自分のクロスバイクを引っ張り出し、M氏の自転車の近くに置いた。
家の鍵も閉めた。
さっきまで起きていた親も、「行ってらっしゃい」の一言と共に寝室に戻った。
もちろん姉も寝ている。
前夜にmp3プレーヤーへぶち込んだ、マキシ1のサントラを聴きながら、我が町を後にする。
午前4時、快調だった。
マキシのサントラは、未明の疾走感を高揚させた。
夜の道を走った。
夜の由比と興津の間は、灯りがなかった。
自転車のライトは最早無意味で、よく持ち歩くLEDライトを補助光にした。
それでもまだ道は暗かった。というよりも、黒かった。
夜の町を奔った。
清水市内に来て、道に迷った。
迷いつつも西へ西へと移動していた。
裏路地、モデル居住地、いろいろと走ったが、漸く小糸製作所が見え、吉川の踏切付近まで来た。
なんとか国道1号に出たが、そろそろ出社するリーマンとか、見え始めた。
よく見れば、空は青味を増していて、気づけば6時前。
6時頃になんとか静岡駅前に到着した。休憩とする。
M氏はタッパーを取り出し、自作の焼うどんを食べ始めた。
私は後から自転車で追いかけるという後輩と、連絡を取っていた。
安倍川を過ぎ、丸子の方に行く。
宇津ノ谷峠に向かって、ジワジワと上り勾配になってきた。
トンネル内は喧しかった。
若干急ぎ気味で、そこを抜けた。
存外に短い隧道だった。
そして、一気に下り坂になった。 軽く50km/hは超える。
藤枝市、旧岡部町に入った。
親が岡部に勤めていたことがあったから、ちょっとだけ記憶にある道、ちょっとだけ懐かしく感じる町。
旧岡部町役場が、藤枝市役所に変わっているのを見て、やっぱり合併したんだなっていうことを再確認した。
この後。
藤枝市役所前を通った。
島田市に入った。
島田駅の少し北を通った。
気がついたら、前方に大井川の橋が見えた。
まっしぐらだった。
他には何も視界に入って来ない。 ただ、橋の入り口を目指して、そこまでの上り坂を一気に駆け上がった。
橋を半分まで過ぎると、金谷の町が見えてきた。
心の中で歓喜を上げた。
「金谷だ!!」
「金谷…!! 金谷の町だ…」
「そうだ、あれが遂に我々が待ちに望んだ金谷のまちだ。私は諸君らを約束通り連れて帰って来たぞ。あの懐かしの撮影へ。あの懐かしの撮影地へ。」
(元ネタ:HELLSING5巻より)
…と、C.Tが心の中で呟いたとか呟いてなかったとか。
こっから目的地はもう目と鼻の先。
とりあえず、新金谷駅に立ち寄って小休憩。
証拠写真として1枚
この後、後から来ていた後輩とも合流。
こっからちょっと移動して、予てからの目的地であった撮影地に到着。
時刻は8時になった頃で、自宅を出てから実に4時間経っていた。
こことは別の近くの撮影地に電車で来ていたLimited氏とメールで連絡したり、側を通る大鉄を撮ったりしながら時間潰し。
EL牽引でSL急行の回送が通過
後に定時で出発
発車時に汽笛を鳴らしてくれるので分かり易く、警報器の無い踏切だったので助かりました。
雨もぱらつき始め、定時から何分も遅れたころにやっと本番。
キハ85団臨。傾いた。
雨も降ってきていたので、その場を撤収。
L氏と連絡して大鉄のSLでも撮るかということに。
鉄橋の辺り
SLをやってから、あとは引き返すのみ。
新金谷に一旦寄り、そこでL氏と別れて自転車組3人はまた長距離を漕ぎ始める。
行きは別格追い風が吹いていたわけでもないのに、帰りは向かい風が酷い。
結局、この向かい風には自宅に着くまで悩まされた。
藤枝市役所付近で休憩を入れ、今度は岡部方面ではなく、焼津方面へ行く。
ルートを提案したM氏が通ろうとしていた日本坂トンネルは、車通りの多さから断念。
あれだけ日本坂トンネルは危険だって言ったじゃないですか(-ω-
他ルートを考えると、北へ上って、また宇津ノ谷峠を越えるか、南側の大崩海岸を通るか…。
体力も限界、時間も余り掛けられない、やはり考えられる最も現実的なルートは、大崩ルート…。
そんな事を考えているうちに甲種輸送が来る時間。一先ずはそれを撮影。
ここに来て串パン
満身創痍、基本的なことができなくなってきている。
甲種輸送の撮影後、大崩海岸へと行く。
南に少し行き、交差点を東に曲ったとたん、坂道が襲ってきた。
向かい風が吹いているというのに、その上坂道がキツイ。
トンネルに入ると、とうとうまともに向い風が当たってきた。
自重の軽い私のクロスバイクはまだ進めるが、後ろで頑張っているM氏と後輩とに広い差がついてしまった。
少し止まって待ってみたり、ちょっと勢い付けて坂道乗り切ったり、見通し不良の急カーブを徐行してみたりで、やっと用宗が見えてきた。
静岡市に入ると、坂道をひたすら下った。
風が気持ち良かった。
用宗に来て、再びL氏と合流。
撮影場所を決めて、団臨の折り返しを撮影する。
ピン甘だよ…orz
雨は降り続けている。
正直、もう撮影に集中することができなかった。
アンダーな気分でした
さらば団臨。
L氏と別れた。
再び自転車3人組が集まる。
――ここからが地獄だった。
安倍川駅前、安倍川を越え静岡駅前、東静岡駅前、長沼、草薙駅付近、小糸製作所付近の新幹線との交差、Y字の交差点、清水駅前、清水郵便局前、東海道線の上を越えて清見寺前。
興津駅前で休憩。
安倍川手前で後輩と別れ、M氏と2人でずっと走ったが、これまでずっと前方からの強風と大雨だった。
雨対策の装備はない。すべて気象庁が悪い。畜生。
興津駅前で休憩を入れたが、正直一度止まると、もう二度と動き出せない気がした。
ベンチに座りながら親に連絡を入れた。
私の体力は最早限界。 気分的には既に機能停止の臨界点にまで達しそうだった。
M氏の方は、どうやら「覚醒」したように我武者羅に自転車を漕いでいた。
興津駅を出発して、また難所にブチ当たった。
正直、回避したいがそんなルートは存在しない。
行きの自転で真っ暗で静かだった由比-興津間は、強風、大雨、対向車のヘッドライトが逆光でまったく道が把握できない、これまでにない最悪な状況。
立ち止まってLEDライトを用意しようとしたら、後ろから来たM氏と衝突した。
兎に角、前が見えない。
LEDライトは取り出したものの、何の役にも立たなかった。
本当に畜生だった。
道路が認識できるレベルが100だとすれば、1かその程度上がったかもしれないが、結局その程度だった。
だから、前が見えなかった。
由比から先は慣れた道で、もう私も我武者羅に走ってた。 二人とも狂ってた。
由比の交番、由比駅前、博物館前、旧東海道から逸れて、蒲原駅前、蒲原西IC前、イオンタウン前、新蒲原駅前、富士見橋下、軽金踏切。
そして、やっと、地元に着いた。
少し腹が冷えて痛い感じがした。
だから私は、あの時M氏にあの質問をした。
幸い、2人とも風邪をひかなかったらしい。
こんな事をしたのだから、悪運とでも云おうか。
帰宅出来て良かった。
というより、強風と大雨がなければこんなに苦労しなかったし、辛い目にも遭わなかったはずなのだが・・・
('A`)
by Casual_Train
| 2009-11-02 02:27
| 鉄道写真