2010年 09月 22日
終わったこと |
夏休みも明けた某日、受験の為に学校を公欠し、上京した。
3日ほど前から動機がして、結局体育を公欠。長期休暇明けの試験も、普段の1日6時間の授業も身が入らず。
行きの新幹線では、授業中のはずの友人からメールで激励され、半泣きになった。
それでも東京の空気を吸えば、身も締まる思いで会場へ向かった。
集合時刻の30分前には会場に着き、試験を受けるまでの待合室の凍るような空気の中でロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」を読み、1時間ほど経つと案内の職員が現れ、とうとう試験かと思うほどに、気付いてみればあっという間で、私は会場の外に居た。
全く不安の塊と化した私は、それでも不安を紛らわそうとして、都電を撮りに行くことを思いつく。
確か大塚駅前だったか。
午後から始まる試験だったというのに、私としたことが食事の機会を失ったため、大塚の駅前にある立ち食いそばが昼食となった。
路面電車らしい風景と思ってシャッターを切る。
面接試験で写真について言われたことが刺激となって、なぜか写欲が湧いた。
これでもかというほどにシャッターを切ったと思う。
大塚駅前から乗車して、少し都電に揺られる。
逆光の下、曲がりくねる路面に目が行った。
王子駅前で一旦降りて撮影のために沿線を歩く。
また王子駅へ戻り、今度は車庫でも見ようと荒川車庫まで行ってみた。
新型の車両ばかりのようだった。
古めかしい物が見たかったが、今はどこもこんなであると勝手な納得をして車庫を後にする。
西日がまぶしい。
王子駅へ戻ることにした。
王子駅へ戻ると、父から電話がかかった。
丁度、父も東京へ出張していて、そこから合流することになった。日も暮れ始める。
空が暗くなる時分に都内を移動し、夕飯は神田の蕎麦屋で済ますことになった。
麺の咽喉越しが良く価格もそんな高くないかと思ったが、分量がそれらしく極小量だったのは帰りの車中で笑いの種となるほどである。
神田から東京へ、そして新幹線で三島へ…。
帰宅すると疲れがきた。受験に行ったはずだったが、軽い旅になっていたような気がする。
色々とあったが、今現在、進路が確定したのでこの文章を打ち込むことができている。
励ましてくれた友人らと、お世話になった皆様に心より感謝。
3日ほど前から動機がして、結局体育を公欠。長期休暇明けの試験も、普段の1日6時間の授業も身が入らず。
行きの新幹線では、授業中のはずの友人からメールで激励され、半泣きになった。
それでも東京の空気を吸えば、身も締まる思いで会場へ向かった。
集合時刻の30分前には会場に着き、試験を受けるまでの待合室の凍るような空気の中でロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」を読み、1時間ほど経つと案内の職員が現れ、とうとう試験かと思うほどに、気付いてみればあっという間で、私は会場の外に居た。
全く不安の塊と化した私は、それでも不安を紛らわそうとして、都電を撮りに行くことを思いつく。
確か大塚駅前だったか。
午後から始まる試験だったというのに、私としたことが食事の機会を失ったため、大塚の駅前にある立ち食いそばが昼食となった。
路面電車らしい風景と思ってシャッターを切る。
面接試験で写真について言われたことが刺激となって、なぜか写欲が湧いた。
これでもかというほどにシャッターを切ったと思う。
大塚駅前から乗車して、少し都電に揺られる。
逆光の下、曲がりくねる路面に目が行った。
王子駅前で一旦降りて撮影のために沿線を歩く。
また王子駅へ戻り、今度は車庫でも見ようと荒川車庫まで行ってみた。
新型の車両ばかりのようだった。
古めかしい物が見たかったが、今はどこもこんなであると勝手な納得をして車庫を後にする。
西日がまぶしい。
王子駅へ戻ることにした。
王子駅へ戻ると、父から電話がかかった。
丁度、父も東京へ出張していて、そこから合流することになった。日も暮れ始める。
空が暗くなる時分に都内を移動し、夕飯は神田の蕎麦屋で済ますことになった。
麺の咽喉越しが良く価格もそんな高くないかと思ったが、分量がそれらしく極小量だったのは帰りの車中で笑いの種となるほどである。
神田から東京へ、そして新幹線で三島へ…。
帰宅すると疲れがきた。受験に行ったはずだったが、軽い旅になっていたような気がする。
色々とあったが、今現在、進路が確定したのでこの文章を打ち込むことができている。
励ましてくれた友人らと、お世話になった皆様に心より感謝。
by Casual_Train
| 2010-09-22 21:59
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